紙飛行機の降り立つ先に

思考メモ、雑記など

未来の標に、あなたがいたから。

 通勤電車の中では、いつも音楽を聴いている。赤の他人と閉鎖空間に何十分も詰め込まれて、しかも向かう先は職場という状況は、イヤホンで耳を塞いでいないと発狂しそうになる。
 今日は、久しぶりに、鬼束さんの歌を選んだ。
 鬼束さんの歌を初めて聴いたのは、たしか、中学生の頃だったと思う。私は十代半ばで、鬼束さんは私にとって「年上のお姉さん」だった。そのことに、なんだか安心の気持ちを抱いたのを憶えている。真っ暗な未来の先に、鬼束さんは素足で立っていて、生きて、歌っている。そう思ったら、安堵した。私にも未来があるのだと思った。靴をもたない足で歩いていける未来が。
 二十代になってからは、自然と聴かなくなってしまった。私の心が、鬼束さんの歌を「卒業」したのかもしれない。私も「私」を「卒業」していく。「infection」を歌っていた頃の鬼束さんには、もう会えない。「羽人物語」を書いていた頃の私には、もう触れない。
 それでも、久しぶりに聴いた鬼束さんの歌は、いつかと少しも違わずに、私を満員電車から守ってくれた。音の盾は色褪せることなく私を現実から遮り、詩の砦は職場へ向かう絶望に転がり落ちるのを防いでくれた。通学していたときと、同じように。
 卒業後も訪れたいと思える母校を私はもたないけれど、鬼束さんの歌が母校みたいなものかもしれないと思う。しかも、学校よりずっと安泰だ。学校は、校舎も教師も変わってしまうけれど、歌は変わらずここにある。そのことにも、私は安堵する。再生ボタンを押せば、いつでも訪れることができる。学校というよりお城だろうか。今日聴いた歌の一曲である「Castle imitation」を思い出した。有害な正しさで、私は明日も仕事に行く。生きて、生きて、生きていく。