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紙飛行機の降り立つ先に

思考メモ、雑記など

幽霊と白線

 幽霊ときいて最初に思い浮かぶのは、おぼろげな記憶ではあるけれど、小さいころにDVDか何かで観た「ゴースト」という外国映画だ。
 私は幽霊を信じていない。すくなくとも、私を助けてくれるゴーストはいない。死んだ私の身内は私を愛してくれていたそうだけれど、私に辛くあたった老人を懲らしめてくれはしなかった。
 それに私は、幽霊を信じるわけにいかないのだ。もし幽霊が存在するなら、私はとっとと自分の人生に見切りをつけて、死んでしまいたくなってしまう。
 働いていると、タチの悪いドッキリ企画かと思うほどに、厭なことしかない。苦しむために産み落とされたのだろうかと、悲観することも時々ある。ここにあるのは、生きるか死ぬかじゃなく、働くか死ぬか、なのだ。境界線はいつでもすぐ傍にあって、心ひとつで、ふっと飛び越えてしまえるもの。
 そんなときに、ひきとめるものがある。ほんのすこし先の未来にある、ささやかな楽しみの存在だ。好きなアーティストさんの新譜が○日後に発売される、とか、好きな作家さんの新刊が○か月後のイベントで頒布される、とか、そういう小さな希望のひとつひとつが、私の足を境界線の内側に留めている。飛び越えたら聴けなくなってしまう、読めなくなってしまう、と。
 でも、死んで幽霊になれるなら、死なないでいるメリットは、何もなくなってしまう。「ゴースト」の映画に出てくる幽霊たちのように、生きているひとが読んでいるのを後ろから眺めて読むことができるし、訓練すればモノにも触れる。好きな場所へ旅行だってし放題だし、体調の心配だってしなくて良い。死ねば楽になれるよ、とはよく言ったものだと思う。幽霊になれたら、とてもラクで、たのしそうだ。
 だから私は、幽霊の存在を信じない。死んでも幽霊にはなれない。飛び越えずに、ここにいて、本を読んで漫画を読んで音楽を聴いて、物語を書いていくのだ。
 そんなことを考えながら、私は今日も仕事着に身を包み、スマフォに視線を落としイヤホンで両耳を塞ぎ、白線の内側に立っている。